わたしのひとり親ライフ

中学生になった子の手がかからなくなって、ホッとする私と少し寂しい私

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子どもの成長、嬉しいような、少し寂しいような

毎日慌ただしく過ぎていきますね。仕事に家事に、そして子育て。特にシングルペアレントの皆さんは、私と同じように毎日が時間との戦いだと感じていらっしゃるのではないでしょうか。

うちの子も、あっという間に中学生になりました。小学校に入学した頃のあどけない姿を思うと、本当に大きくなったと感じます。身長もぐんと伸びて、私を追い越すのも時間の問題かもしれません。声変わりもして、なんだか遠い存在になったような、不思議な感覚です。

手がかからなくなって楽になったこと

子どもが大きくなるにつれて、物理的に手がかからなくなったなあと感じる場面が増えました。例えば、朝の声かけ。以前は「早く着替えて!」「宿題やったの?」と何度も声をかけないと進まなかった支度も、今は自分で考えて動けるようになりました。身の回りのこと、持ち物の準備なども、ほとんど自分でできます。

お風呂も一人で入りますし、食事の準備を手伝ってくれることもあります。急な用事で私が遅くなった時でも、「今日の夕飯は自分で温めて食べるね」とメールが来たり、時には簡単なものなら自分で作ってくれたり。こういう時、本当に頼もしくなったと感じますし、正直ホッとします。

以前は、私がいない間に何かあったらどうしよう、という心配が常に頭の片隅にありました。今は、自分で考えて行動できることが増え、一人で留守番させても大丈夫だと思える安心感があります。私自身の自由な時間が、ほんの少しですが、増えたように感じています。

成長の裏側にある、小さな寂しさ

子どもが自立してくれて、楽になったのは事実です。これはとてもありがたい変化だと感謝しています。でも、その反面、胸の中にふと、小さな寂しさが生まれる瞬間があるのです。

一番感じるのは、甘えてくれることが減ったことでしょうか。以前は、疲れて家に帰ると「ママ、疲れたね」「お仕事大変だった?」と抱きついてきてくれたり、膝の上に座って話を聞いてくれたりしました。でも今は、私の帰宅に気づいても部屋から出てこないこともありますし、話すことも、学校のことや部活のことなど、必要最低限になってきました。

休日も、以前は公園に行ったり、一緒に買い物に行ったりしていましたが、今は友達と出かけることが増えました。家にいても、自分の部屋にいることが多く、リビングで一緒に過ごす時間は減りました。

「ママ、これやって」と頼られることも、ほとんどなくなりました。自分でできることは自分でやってしまうのです。それは子どもの成長として喜ぶべきことなのですが、「もう私がいなくても大丈夫なんだな」と感じてしまうと、少しだけ置いていかれたような、寂しい気持ちになるのです。

私自身が、無意識のうちに「子どもに頼られること」で、自分の存在価値や居場所を確認していたのかもしれません。手がかからなくなった、というのは、育児という大きな役割の一つが完了に近づいているということ。嬉しい成長なのですが、同時に自分の手が離れていくことへの、戸惑いや寂しさがあるのだと感じています。

この複雑な気持ちも「あるある」かもしれません

この「楽になったことへの安堵」と「少し手持ち無沙汰になったことによる寂しさ」は、きっと私だけが感じていることではないと思っています。特に、今まで文字通り片時も目が離せなかったシングルペアレントにとっては、この変化は大きいのではないでしょうか。

毎日頑張って子どもを育ててきた結果、子どもが立派に自立に向かっている。これは本当に素晴らしいことです。この複雑な感情は、子どもの成長を喜びつつ、同時に親としての一つのステージが終わろうとしていることを肌で感じているからこその、自然な気持ちなのかもしれません。

この時期、無理に寂しさを紛らわせようとせず、ただ「あぁ、今、私は子どもの成長を喜びつつ、少し寂しいんだな」と感じる自分を受け止めるだけでも良いのかもしれません。そして、少しだけ増えた自分の時間を、大切に使ってあげること。子どもがくれた、新しい時間だと思って、自分自身も満たしてあげること。

子どもが大人への階段を上っていくように、私たち親も、親としての新しいステージを歩み始める時期なのでしょう。戸惑いや寂しさはあるけれど、これからの子どもとの関係性を楽しみながら、そして自分自身の人生も大切にしながら、日々を過ごしていきたいと思っています。

あなたの「手がかからなくなったこと」と「寂しさ」についても、もしよかったら心の中で「私だけじゃないんだな」と感じてもらえたら嬉しいです。