わたしのひとり親ライフ

ふと気づけば増えている名もなき家事、私だけじゃないはず

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見えない家事の山に埋もれる日々

シングルペアレントとして日々を過ごしていると、仕事や子育てに加えて、たくさんの「名もなき家事」が降りかかってきます。料理の後片付け、洗濯、掃除といった目に見える、名前のある家事とは別に、名前はないけれど、誰かがやらなければ回らない小さな用事が山ほどあるのです。

例えば、トイレットペーパーの芯を交換する、洗剤やシャンプーを詰め替える、排水口に溜まった髪の毛を取る、エアコンのフィルターを掃除する、郵便物を開封して仕分ける、子供の学校からのプリントを確認して保管・破棄する、切れた電球を交換する、壊れたおもちゃを修理する、などなど。

これらの家事は、一つ一つはほんの数分で終わるかもしれません。ですが、やってもやっても次から次へと発生し、そして何より、誰かが気づいて「やる」というアクションを起こさなければ、そこにあることすら忘れられがちです。

「あれ、これ、それ」の正体

「あれ、トイレットペーパーないよ」「これ、洗剤もうすぐ終わりだね」「それ、いつまでここに置いておくの?」

子供が大きくなってくると、こうした「指示」や「指摘」が増えてきます。子供には悪気はないのかもしれませんが、言われるたびに「あ、それも私の仕事か」と、名もなき家事リストが心の中で更新されていくような感覚になります。

誰かがやったことの「続き」や「後始末」、あるいはまだ発生していないけれど「やっておかないと困る」こと。そういった「あれ」「これ」「それ」の正体こそが、名もなき家事の大きな部分を占めているように感じます。そして、その「誰か」は、多くの場合、私たちシングルペアレント自身なのです。

体力と気力の消耗戦

日々の仕事で疲れている体で、夕飯を作り、片付けをし、明日の準備を済ませ、子供の話し相手になり、ようやく一息つけると思いきや、リビングには片付けられていないものがあり、ふと洗面所を見れば洗剤のボトルが空になっている。

一つ一つは小さなことでも、それが重なると、見える家事以上に体力と気力を消耗させられます。特に、誰も気づいてくれない、評価されない家事であるだけに、「なんで私だけが」という気持ちが募ることもあります。この見えない負担が、シングルペアレントの疲労の大きな一因になっているのではないでしょうか。

子供が中学生くらいになると、自分のことはある程度自分でできるようになりますが、それでも家の中全体の「回す」役割、見えない部分に気づいて手を動かす役割は、なかなか自然には身につかないようです。根気強く伝えること、時には衝突することもありますが、それもまた名もなき育児の一部なのかもしれません。

私だけじゃないはず

きっと、この記事を読んでくださっているあなたも、同じように名もなき家事の山と格闘しているのではないかと思います。誰にも頼れない、自分しかいない環境では、これらの小さな負担が積み重なり、時に心を重くすることを知っています。

でも、私だけではないはずです。多くのシングルペアレントが、毎日、見えない家事と向き合い、なんとか日々を回しています。その大変さは、外からは見えにくいかもしれませんが、私たちは確かに頑張っています。

完璧を目指す必要はありません。たまには見て見ぬふりをしてもいいのです。排水口の掃除は来週に回しても、きっと世界は終わりません。自分を労わること、そして「私、今日も名もなき家事をいくつもクリアした!」と、自分自身を少しだけ褒めてあげることも大切だと思います。

この見えない家事が完全にゼロになることはないかもしれませんが、その存在を認め、大変さを共有することで、少しでも心が軽くなればと願っています。