「いつか片付けよう」の山とため息。シングル母のリアルな部屋事情
気づけば溜まっている「いつか片付けよう」の山
毎日、仕事から帰って、慌ただしく夕飯を作り、子どもと少し話して、洗濯物を取り込んでたたんで…と過ごしているうちに、あっという間に時間が過ぎていきます。子どもが寝静まった後、ようやく一息つける時間ですが、その時目に入るのは、リビングの隅に積み上げられた「いつか片付けよう」の山。
読みかけの雑誌や郵便物、子どもの学校からのプリント、なぜかそこにある脱ぎっぱなしの靴下、たたむ前の洗濯物、つい出しっぱなしにしてしまった充電器のコード…。一つ一つは大したものではないのに、それが集まると、部屋全体がなんだかごちゃごちゃして見えるのです。
疲れていると、本当に何もする気になれない
正直なところ、疲れていると、この「いつか片付けよう」の山を崩す気力は湧いてきません。頭の中では「片付けなきゃ」と思っているのですが、体が言うことを聞かないのです。ソファに座り込んだら最後、立ち上がるのが億劫になり、そのままスマホを眺めたり、ぼーっとしたりして時間が過ぎていきます。
子どもが小さかった頃は、安全のためにある程度片付けざるを得ませんでしたが、中学生になった今は、子ども自身は自分の部屋である程度片付けるようになりました。それは助かるのですが、共有スペースや、ましてや私自身の部屋となると、どうしても後回しになってしまいます。
たまにスイッチが入って、よし!と気合を入れて片付け始めても、すぐに疲れてしまったり、別のやるべきことに気が散ったりして、結局中途半端で終わってしまいます。そして、またすぐに元通り…ということを繰り返している気がします。
片付かない部屋を見て、ため息をついてしまう日
散らかった部屋を見ていると、なんだか自分の心までざわついているような、落ち着かない気持ちになることがあります。ちゃんとした生活ができていない気がして、自分を責めてしまうこともゼロではありません。「もっとテキパキできたら」「時間をうまく使えたら」と考えては、理想の自分と現実の自分とのギャップにため息をついてしまうのです。
もちろん、来客があれば慌てて片付けますし、最低限の生活はできています。でも、ふとした瞬間に目に入る「いつか片付けよう」の山を見ると、「あぁ、また増えてるな」と、うんざりしてしまいます。
きっと、私だけではないはず
きっと、この部屋の散らかり具合や、片付けられない自分を責めてしまう気持ち、他のシングルペアレントの方も多かれ少なかれ経験されているのではないでしょうか。仕事に家事に子育てに、毎日頑張っているのだから、部屋が完璧に片付いていなくても、少しぐらい散らかっていても、仕方ない、と思いたいのです。
誰かに見られるわけでもないのだから、と開き直ってみたり、この山を乗り越えた先に、きっと素敵な「いつか」が待っているんだ、と根拠もなくポジティブに捉えてみたり… 試行錯誤しながら、この状況と付き合っています。
完璧な部屋を目指すのは一旦お休みして、今日はまず、床に落ちているものだけ拾ってみようかな、とか、郵便物だけ仕分けしてみようかな、とか、本当に小さな一歩だけ意識してみることにしました。
片付かない部屋でも、温かいご飯があって、子どもと笑い合える時間があれば、それで十分なのかもしれません。そう自分に言い聞かせながら、今日も私は、目の前の「いつか片付けよう」の山に、そっとため息をつくのです。