わたしのひとり親ライフ

子供が寝た後、私の「無」になる時間

Tags: 夜時間, 一人の時間, 疲労回復, リアルな日常, 共感, ひとり親

一日の終わりに訪れる、静かな時間

子供がベッドに入り、部屋の明かりが消える。絵本を読んだり、今日あった出来事を少し話したりして、おやすみを言う。ドアをそっと閉めてリビングに戻ると、そこには静寂が広がっています。

長かった一日が、ようやく終わりを告げたのだなと感じる瞬間です。仕事、家事、育児。朝からずっと気を張っていた心と体が、ふっと緩むのを感じます。この静寂だけが、完全に自分のものになる時間です。

理想とはかけ離れた、私の「夜時間」

この時間を使って何をしよう。そう考えるのは、一日が始まる前か、まだ元気がある日中のことです。

「子供が寝たら、あの資格の勉強をしよう」 「たまっている録画を見よう」 「ゆっくりお風呂に入って、パックでもしようか」 「キッチンのシンクをピカピカに磨こう」

考えている間は、少しだけワクワクする気持ちになります。でも、現実の私は、リビングのソファにたどり着くのが精一杯です。

ソファに体を預けると、もう動けなくなります。体中の力が抜けて、まぶたが重くなります。そのまま、しばらくぼーっとしてしまいます。これが、私の多くを占める夜時間の過ごし方です。

何もできない「無」の時間

期待していた「自分の時間」なのに、何もできていない。スマホを手に取っても、SNSをただスクロールしたり、意味もなくニュースアプリを開いたりするだけ。気になる記事を見つけても、頭が疲れていて内容がなかなか入ってきません。

やらなければならない家事も、目に入っているけれど立ち上がる気力が湧きません。洗い物がシンクに少し残っていても、「明日でいいか」と見て見ぬふり。自分が情けなくなる瞬間でもあります。

でも、それすらもどうでもよくなってくるほどの疲労感です。この時間は、「何かをする時間」ではなく、ただ「存在する時間」になっているのです。私にとっての夜時間は、「無」になる時間なのかもしれません。

「無」であることが、自分を労わる時間なのかもしれない

初めは、この何もできない自分に少しがっかりしたり、焦りを感じたりすることもありました。せっかくの貴重な時間なのに、有効に使えていない、と。

でも、ある時ふと思ったのです。この「無」の時間こそが、一日中フル回転していた心と体をクールダウンさせるために必要な時間なのかもしれないと。無理に何かをしようとせず、ただぼーっとする。それは、頑張り続けてきた自分を、ただ静かに労わる時間なのではないか。

そう考えたら、少し気が楽になりました。何もしていなくてもいい。ソファでただ静かに座っているだけでも、それは立派な「自分の時間」なのだと。

同じように「無」になっているあなたへ

きっと、私と同じように、子供が寝た後に疲れて何もできず、「無」になっているひとり親の方はたくさんいらっしゃると思います。

周りを見れば、夜時間を有効に使って輝いているように見える人もいるかもしれません。でも、私たちは毎日、一人で、仕事も家事も育児も、本当にたくさんのことをこなしています。疲れ果ててしまうのは、当然のことです。

だから、もしあなたが今、夜の静寂の中で、疲れて何もできていない自分を責めているとしたら、どうぞ自分を許してあげてください。その「無」の時間は、あなたが明日もまた頑張るために必要な、静かな充電時間なのだと思います。

私もまた、今夜もきっと、ソファで「無」になる時間があるのでしょう。それを自分を労わる大切な時間として、少しだけ優しい気持ちで受け止められたらと思っています。